木目込み人形と真多呂人形の歴史(3)

明治時代の画期的な木目込み人形の変化

木目込み人形の制作

木目込み人形の原型づくり

明治の初め頃までは、誕生当時のままの技法で、木目込み人形は作られてきました。
それは、柳の木を一体ずつ彫刻して仕上げるために、時間と手間がたいへんかかり、制作個数が極端に限られたものでした。

その頃、京都で賀茂人形作りの修行を積んだ人形師、吉野栄吉は「なんとかしてこの人形を一般庶民に普及させたい」という一念でいろいろと研究を重ね、じつに画期的な手法を考案しました。

それは、従来どおりに木を彫って作った人形を原型にして、松やにを利用した鋳型に、木(主に桐の木)の粉末と生麩糊をまぜ合わせた桐塑を詰め込み、原型とまったく同じ塑像を作り出すというものでした。
この塑像は木のように彫ったり削ったりでき、型崩れしない、まさに理想的なものだったのです。

木目込み人形の制作

より美しく…木目込みの技術の高まり

彫刻から塑像へ…。
この画期的な人形の原型ができたことで、木目込み人形は大きく様変わりしていきます。

いままで木を彫刻していた手間が省かれた分だけ、木目込みの技術に比重がかかるようになったのです。
当然のことのように、人形の衣裳はより美しくなっていきました。

この栄吉の技術は、息子である喜代治へと受け継がれていきました。

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