伊勢物語 東下り(2)

こんにちは☆
前回の「伊勢物語 東下り(1)」の続きです。

「かきつばた」を題に歌を詠み、皆が涙したところからでしたね。


行き行きて駿河の国に至りぬ。
宇津の山に至りて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、
つた、かへでは茂り、もの心細く、
すずろなるめを見ることと思ふに、修行者会ひたり。

「かかる道は、いかでかいまする。」
と言ふを見れば、見し人なりけり。
京に、その人の御もとにとて、文書きてつく。

『駿河なる うつの山辺の うつつにも 夢にも人に あはぬなりけり』

先へ進んでいって駿河の国(静岡県東部)に訪れた。
宇津の山に至って、入ろうとする道がとても暗くて細い上に、
つた、楓が茂っていて、なんとなく心細く、
大変な目にあうことだなあと思っていると、
思いがけなく修行者がやって来た。

「このような道に、どうしておいでになるのですか」
と言う人を見れば、見知った人であった。
都にいるあの方の所へと言って、手紙を書いて託す。

『駿河にある宇津の山辺にいるのですが、うつつにも、夢にもあなたに会わないことだなあ』
*「うつつ」とは、現実という意味です。

富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。

『時知らぬ 山は富士の嶺 いつとてか 鹿の子まだらに 雪の降るらむ』

その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして、
なりは塩尻のやうになむありける。

富士山を見ると、五月の末であるのに、雪がとても白く積もっている。

『季節を知らない山は富士の嶺だなあ、今をいつだと思って鹿の子模様に雪を降り積もらせているのだろうか』

その山は、都を例に挙げれば、比叡山を20ほど重ねあげた高さで、
形は塩尻のようであった。

*塩尻…塩田で砂を円錐形に盛り上げたもの。これに海水を注ぎ、天日に乾かして塩分を固着させる。

なほ行き行きて、武蔵の国と下つ総の国との中にいと大きなる川あり。

それをすみだ川と言ふ。
その川のほとりに群れ居て、思ひやれば、
限りなく遠くも来にけるかな、とわびあへるに、渡し守、
「はや舟に乗れ、日も暮れぬ。」と言ふに、
乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、
京に思ふ人なきにしもあらず。

さらに先へ進んでいくと、武蔵の国(埼玉県・東京都ほぼ全域と、神奈川県の一部)と下総の国(千葉県北部と茨城県南部)との間にとても大きな川があった。

それを隅田川と言った。
その川のほとりにひとかたまりに腰を下ろして、都に思いをはせ、
この上なく遠くへ来てしまった事だなあと嘆きあっていると、渡し守が
「すぐに舟に乗れ、日が暮れてしまう。」と言うので、
舟に乗って川を渡ろうとするが、皆なんとなく寂しくて、
都に恋しく思う人がいないわけではない。

さる折しも、白き鳥の、嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、
水の上に遊びつつ魚を食ふ。

京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。
渡し守に問ひければ、「これなむ都鳥」と言ふを聞きて、

『名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと』

と詠めりければ、舟こぞりて泣きにけり。

そんな時、白い鳥で、くちばしと脚が赤い、鴫(しぎ)ほどの大きさの鳥が、
水の上で遊びながら魚を食べている。

都では見かけない鳥なので、皆知らなかった。
渡し守に尋ねると、「これが都鳥です」と言うのを聞いて、

『都鳥という名を持っているのならば、さあ聞いてみよう、都鳥よ、都にいる私の恋しい人は無事でいるのかどうかと』

と詠んだので、舟にいる人はみんな泣いてしまった。

(九段、終)