2008年(平成20年)北京五輪金メダル雛
8月に開催された北京オリンピック。男子水泳のエース・北島康介選手は、平泳ぎ100mと200mの2種目で金メダルを獲得。
女子ソフトボールでは、準決勝、決戦と接戦の中連投したピッチャー・上野由岐子選手の活躍で、悲願の初優勝を遂げました。
この変わり雛は、金メダルを獲得した、水泳・北島康介選手と、女子ソフトボール・上野由岐子選手です。
真多呂人形ブログ
リンゴの唄は、戦後初めて企画制作された映画『そよ風』の中で、並木路子さんによって歌われました。
進駐軍の検閲第1号のレコードとして翌年1月に発売。
戦災に打ちひしがれた人々にさわやかな希望を与え、年内に12万5千枚を売り上げる大ヒットとなりました。
その後時を経て、阪神・淡路大震災後、被災地に訪れた並木さんにより震災に遭われた人々の心を癒すためこの唄が披露されました。
並木さんは2001年にお亡くなりになりましたが、多くの人々を元気づけたリンゴの唄は人々の記憶の中にずっと残っていくでしょう。
戦争の終わりによって急激に出生率が高くなった昭和22年〜24年頃の現象、これを第一次ベビーブームといいます。
約800万人が生まれたとされ、この年代を団塊の世代と呼びます。
合計特殊出生率も4以上あり、2006年の1.32の2倍以上あります。
現在先進国では、少子化問題を抱えていますが、フランスは例外です。
フランスの出生率は1.89(2003年)と、日本やドイツに比べて高い数字を維持しています。
フランスの出生率はなぜ高いのでしょうか。
戦後の悪質な犯罪急増に対応して「警察通報電話」が8大都市で昭和23年10月1日に設けられました。
東京では110番でしたが、関西で3都市は1110番で、昭和35年に統一されました。
なぜ110番という番号なのでしょうか。
番号を110番にしたのは、1の後に0を回すのが、間違いが少なく、覚えやすいという理由からだそうです。
110番通報すると、受理した係員が現場に警察官を急行させ、事件内容を詳しく聞きながら、その都度その内容を警察官に連絡しています。
こうすることで、いち早く警察官は現場に駆けつけることができるのです。
また、聴覚や言語に障害があり、緊急時に電話できない方のために、携帯電話を使った、文字入力により110番できるサイト「警視庁110番サイト」があります。
昭和23年9月にお年玉付郵便葉書に関する法律が作られ、24年末にはじめて、お年玉年賀ハガキが売り出されました。
賞品は特等ミシン、1等純毛洋服地、2等学童用グローブ、3等学童用こうもり傘、6等切手シートでした。
この頃から、切手シートがついていたんですね!
2008年、今年のお年玉賞品は、どのようなものでしょうか。
昭和25年1月、今までで最も高額の額面千円札が発行されました。表には聖徳太子、裏には法隆寺夢殿が描かれています。
現在、日本銀行券は全て国立印刷局で、貨幣は造幣局で作られています。
それでは、紙幣はどのように作られるのでしょうか。
原料は「みつまた」という植物です。
「みつまた」を刈り取り、湯気で蒸して皮をむきます。その後パルプ化し、すかしを入れて乾かします。
「工芸官」筆と絵の具を使ってお札のもとになる原図を描きます。
「工芸官」の中でも高い技術を持った人が原版に彫刻していきます。
こんにちは!今日は紅白歌合戦雛を紹介します。
みなさん、去年の紅白歌合戦はご覧になったでしょうか。
紅白は58回の歴史がありますが、最初はラジオ放送でした。
最初から大晦日に放送されたのではなく、1月3日に放送されていたんですよ。
大晦日に放送されるのは、第4回からのことです。
最初から、今と同じように、白組司会、赤組司会、総合司会が設けられていました。
男女、白組赤組に分かれて対抗するという図も当初からのものでした。
第1回は白組が優勝したそうです。
赤は情熱的でエネルギーを感じる色、生命力などを表します。
白は純真で潔白、平和、誠実なイメージを表します。
なぜ、最初の紅白歌合戦で男性が白組、女性が赤組になったかは謎ですが、平安時代の貴族の衣装を見てみると、男性は白い衣装が、女性は赤い衣装が多いのでその辺りからイメージがついているのかもしれませんね。
こんにちは!今日は‘君の名は雛’を紹介します。
1952年から54年まで放送された、NHKラジオドラマ。
放送時間の木曜夜8時半になると「女湯が空になる」という話が作られるほどの人気が出て、映画化もされました。
また、映画で主人公の真知子(岸恵子)が巻いたストールは「真知子巻き」として流行しました。
「真知子巻き」は変わり雛を見ていただくとわかるように、ストールを肩からぐるっと頭の上まで回してたらすというまき方。
岸恵子さんが撮影時、あまりの寒さにこの巻き方をし、それが撮影にも使われたということです。
「君の名は」は、男女の切ないすれ違いを描いています。
こんにちは!今日はテレビ開始雛の紹介です。
昭和28年2月1日にNHKが、8月28日には日本テレビ放送網がアナログ放送を開始しました。
テレビといえば視聴率ですが、視聴率はどのように調べられているのか、ご存知ですか?
視聴率の対象となるのはテレビ放送です。
実際にテレビをつけている状態を‘見ている’とします。
ビデオなどで「録画」した場合、視聴率に含まれません。
昔ある芸能人が、自分は見たい番組が2つあった場合、本当に見たい番組の方をビデオに録る、だから視聴率は当てにならないと言っていました。
確かに、そういう人も多いでしょうから、録画が視聴率に含まれないということも考慮に入れなくては、という感じです…といっても視聴率にしたら数パーセントの違いかもしれませんが…。
こんにちは!今日はお富さん雛を紹介します。
この年、春日八郎が歌った「お富さん」という歌が大ヒットしました。
歌舞伎の『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)を題材にした「お富さん」は、宴会ソングとして人々に親しまれ、子供から大人まで多くの人に口ずさまれたようです。
では、歌のあらすじにもなる歌舞伎の内容を紹介します。
主人公の与三郎は、やくざの妾であったお富と恋に落ちますが、それが相手のやくざにばれ、その子分たちに切り刻まれてしまいます。
その後、与三郎は「切られ与三郎」として悪名を馳せ、お富はまた別の人の妾になります。
市民の収入がぐんぐん上がっていく中、クーラー、テレビ、炊飯器、トランジスターラジオなどの家電が相次いで開発され、家庭の中に電気製品がどんどん増えていきました。
電気製品はその後も現在までどんどん増え続けています。
冬は、ホットカーペット、床暖房、エアコン、電気ストーブ、コタツ、テレビ、パソコン、DVDプレーヤー、電子レンジなどなど…私たちは多くの電気製品を使っています。
そのため、家庭の消費電力は相当なものになるはずです。
ウォームビズは主にオフィス向けですが、一般家庭でも実践できることがあります。
こんにちは。
今日は南極観測雛を紹介します。
戦後10年、日本は国際社会の舞台に復帰するため、国連の「国際地球観測年」プロジェクトに参加することに。
南極大陸を観測・調査するため、「宗谷」が南極観測船に選定され、改造されました。
「宗谷」は、11月8日晴海埠頭から南極へ出航し、翌年1月24日南極へ着岸しました。
1958年12月に国際地球観測年が終了したのちも、当時建設された昭和基地は、南極で観測を続けています。
南極大陸は日本の33倍あって、まわりを広い南極海が囲んでいます。
南極海が冬になるにつれ凍っていくと、南極は大きくなっていきます。
世相を映し、風刺も込める変わり雛。2008年変わり雛6点を紹介します!!
9月、安倍晋三総理大臣が突然辞任を表明する。2日前に所信表明演説を終えたばかりで、衆院での代表質問が始まる直前の辞意表明は憲政上例がなく、与野党、そして国民に衝撃を与えた。首相辞任の理由は、ねじれ国会でテロ特措法の再延長が困難であり局面を打開するためとも、健康問題とも言われている。
男雛:安倍晋三前首相 女雛:昭恵夫人
こんにちは!
今日は神武雛を紹介します。
昭和31年秋から翌年5月まで、国内は未曾有の好景気に沸きます。
建国以来の好景気という意味から付いた名は「神武景気」。
この好景気により、第2次世界大戦後の復興を果たした日本経済は「もはや戦後ではない」という有名なことばで表され、洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビの「三種の神器」が一般家庭に普及していきました。
さて、ここで1つの疑問が生まれました。
「三種の神器」とは、歴代の天皇が皇位のしるしとして受け継いだとされる3つの宝物。転じて、揃えてあれば理想的とされる3つの品物のことをいいます。
今の世の中で「三種の神器」といえば何でしょうか?
こんにちは!
今日はフラフープ雛を紹介したいと思います。
直径約1mのプラスチックの輪、フラフープ。
なぜ、フラフープという名前がついたのでしょうか。
実は、フラフープは、フープを回そうとして腰を振る様子がフラダンスと似ていることから、その名がつけられたそうです。
昭和33年10月18日、フラフープは日本で全国一斉発売され、爆発的に流行しました。
1本270円程度で買えたそうです。当時の270円ですから、けして安いおもちゃではなかったと思われます。
2007年現在は1個1000円以内から販売されています。
1959年、4月10日、当時の皇太子(現在の天皇)と正田美智子さん(現在の皇后)の御成婚がなされ、盛大なパレードが開かれました。
何十万人もの人が御成婚を祝ってパレードへ駆けつけました。
お2人は軽井沢のテニスコートで出会ったと言われています。
この御成婚以後、美智子さまブームは最高潮に達しました。
美智子さまのテニスルックなどを女性たちが真似はじめ、ブローチ・ヘアバンド・ストールなどのファッションが大流行しました。
それでは、今回の変わり雛の背景となっている「菊の御紋」と「雉(きじ)」について説明します。
「国民所得倍増計画」は、池田勇人内閣で決定された長期経済計画です。
1961年からの10年間で国民総生産を26兆円に倍増させる計画でしたが、その後日本経済は急速に成長し、約6年で国民総生産は倍増しました。
昭和35年7月、池田勇人内閣が成立、12月には「国民所得倍増計画」が閣議決定されました。
所得倍増計画の目標は、
でした。
長期計画に基づく投資によって、社会資本が整備され、貿易と為替の自由化政策も大きく進展しました。
昭和30年代、都市の通勤ラッシュは年々ひどくなり、電車に乗客を押し込む「押し」「はぎとり」を行い、少しでも運転時間の短縮に努めようとしました。
日本は昔から小さい国の面積に対して、人口の多い国でした。
さらに、経済の発展に伴い、首都圏、特に東京に人口が集中していきました。
1955年〜1970年までは毎年30万人〜40万人の転入超過がありました。
この頃から通勤ラッシュが生まれ、どんどんひどくなりました。
戦後の人口の増加に電車の本数が間に合わなかったこと、また今のように対策がなされる前の通勤ラッシュは、通勤地獄と言われるほどひどいものだったそうです。