木目込み人形『かぐや姫』

竹取物語は、日本最古の物語といわれています。

真多呂人形では、「運命(さだめ)」という木目込み人形を製作・販売しておりますが、これは、竹取物語のかぐや姫を具現化したものです。

「運命(さだめ)」は、天の羽衣をまとっています。
手には衵扇(あこめおうぎ)という、きれいな糸が端についた扇を持っています。
衣装は袿姿(うちぎすがた)という、平安時代の貴族の常服です。

竹取物語の詳しい成立時期はわかっていません。
平安時代、古今和歌集がつくられた905年には、すでに成立していたそうです。

竹取物語は、源氏物語など、後の物語文学に大きな影響を与えた作品として知られています。

あらすじはみなさんほとんどご存知だと思います。

かぐや姫が月へ帰ってしまうのは有名ですが、かぐや姫は素直に月へ帰ったのでしょうか。育ててもらった翁・嫗や、求婚された帝に対して何を残していったのでしょうか。

かぐや姫が帰ってしまう場面から、考えてみたいと思います。

天人の中に、持たせたる箱あり。天の羽衣入れり。
またあるは、不死の薬入れり。

一人の天人言ふ、
「壺なる御薬奉れ。穢き所の物きこしめしたれば、御心地悪しからむものぞ。」

とて、持て寄りたれば、いささかなめたまひて、
少し、形見とて、脱ぎ置く衣に包まむとすれば、
在る天人包ませず。

御衣をとりいでて着せむとす。
その時に、かぐや姫、「しばし待て。」と言ふ。

天人が箱を持っている。天の羽衣が入っている。
また、もうひとつの箱には不死の薬が入っている。

一人の天人が言った、
「壷にある薬を召し上がりなさい。下界のものを召し上がっていたから、ご気分が悪いでしょう」

そう言って箱を持ち寄ってきた。かぐや姫は薬をなめて、
形見として脱いだ着物に少し包もうとした。
しかし、天人は包ませなかった。

天人が天の羽衣を着せようとしたが、
かぐや姫は、「少し待ちなさい」と言った。

「衣着せつる人は、心異になるなりといふ。
もの一言言ひ置くべきことありけり。」と言ひて、文書く。

天人、「遅し。」と、心もとながりたまふ。
かぐや姫、「もの知らぬこと、なのたまひそ。」とて、
いみじく静かに、朝廷に御文奉りたまふ。
あわてぬさまなり。

「天の羽衣を着た人は、心が変わってしまうと言います。
その前に一言言っておきたいことがあります」と言って、
かぐや姫は手紙を書きます。

天人が「遅い」とじれったがりますが、
かぐや姫は、「情け知らずなことをおっしゃいますな」と、
とても静かに、帝に差し上げるお手紙をしたためなさった。
落ち着いた様子であった。

「かくあまたの人を賜ひてとどめさせたまへど、許さぬ迎へまうで来て、取り率てまかりぬれば、口惜しく悲しきこと。
宮仕へ仕うまつらずなりぬるも、かくわづらはしき身にてはべれば、心得ずおぼしめされつらめども、心強く承らずなりにしこと、なめげなるものにおぼしとどめられぬるなむ、心にとまりはべりぬる。」

とて、今はとて天の羽衣着るをりぞ君をあはれと思ひいでけるとて、壺の薬そへて、頭中将呼び寄せて、奉らす。

「このように大勢の人をお遣いくださり、私を留めようとしてくださるけれど、拒むことのできない迎えが参りまして、引き連れて行ってしまいますので、残念で悲しく思います。
宮廷へ行くことができなかったのも、このようにわずらわしい身でありますから、納得できないとお思いになっているでしょうけれど、きっと、私が強情にも帝のお言葉をお受けできなかったことを、帝が無礼に思いなさっているでしょうと、それが心残りでございます。」

と書き、『このように天の羽衣を着る時になって、あなたをしみじみと思い出します』と書き加え、壷の薬を添えて、頭中将を呼び寄せて、帝に献上するようにする。

中将に、天人取りて伝ふ。
中将取りつれば、ふと天の羽衣うち着せたてまつりつれば、
翁を、いとほし、かなしとおぼしつることも失せぬ。
この衣着つる人は、物思ひなくなりにければ、
車に乗りて、百人ばかり天人具して、昇りぬ。

天人が受け取って、頭中将に渡す。
頭中将が取った所、天人がさっと天の羽衣を着せたので、
かぐや姫は翁をいたわしく、愛しいと思っていた気持ちが消えてしまった。
この衣を着たかぐや姫は、悩みがなくなってしまったので、
車に乗って、百人の天人を引き連れて天へ昇っていってしまった。

その後、翁・嫗、血の涙を流してまどへどかひなし。
あの書き置きし文を読み聞かせけれど、
「なにせむにか命も惜しからむ。たがためにか。何事も用もなし。」
とて、薬も食はず、やがて起きもあがらで病みふせり。

中将人々引き具して帰りまゐりて、
かぐや姫をえ戦ひとめずなりぬること、こまごまと奏す。
薬の壺に御文そへ、まゐらす。

その後、翁・嫗は血の涙を流して悲嘆したが、何の甲斐もなかった。
周りのものが、かぐや姫の置いていった手紙(かぐや姫は、帝の他に、翁たちにも手紙を置いていった)を読み聞かせたけれど、
「どうして命が惜しいことがあろうか。誰のためであろうか。すべて無駄になってしまった。」
と言って、薬も飲まず、食事もせず、そのまま起き上がらずに病に伏せてしまった。

頭中将は、人々を引き連れて帝の下へ帰り、
かぐや姫を戦って留めることができなかったことを事細かに奏上した。
薬の壷にかぐや姫からの手紙を添えて献上した。

広げて御覧じて、いといたくあはれがらせたまひて、
物もきこしめさず、御遊びなどもなかりけり。

大臣・上達部を召して、「いづれの山か天に近き。」と
問はせたまふに、ある人奏す。
「駿河の国にあるなる山なむ、この都も近く、天も近くはべる。」と奏す。
これを聞かせたまひて、

帝は手紙を広げてご覧になって、とても深くお悲しみになり、
食事もお取りにならず、管弦のお遊びなどもなさらなくなった。

大臣・上達部(かんだちめ)をお呼びになり、「どこの山が天に近いか」と
お尋ねになると、ある人が「駿河の国にある山が、この都からも近く、天も近うございます」と申し上げた。
これをお聞きになり、

『逢ふこともなみだにうかぶ我が身には死なぬ薬も何にかはせむ』

「もう二度と会う事も無く、悲しみの涙に浮かんでいるようなわが身にとって、死なぬ薬に何の用があろうか、いやない。」とおっしゃった。

かの奉る不死の薬に、また壺具して、御使ひに賜はす。
勅使には、つきのいはかさといふ人を召して、駿河の国にあなる山の頂にもてつくべきよし仰せたまふ。
嶺にてすべきやう教へさせたまふ。
御文・不死の薬の壺ならべて、火をつけて燃やすべきよし仰せたまふ。
そのよし承りて、つはものどもあまた具して山へ登りけるよりなむその山をふじの山とは名づけける。
その煙いまだ雲の中へ立ちのぼるとぞ言ひ伝へたる。

かぐや姫が献上した不死の薬に、壷をそえて、使いをお出しになる。
使いには、「つきの岩笠」という人をお呼びになり、駿河の国にある山の頂上に持って行くようにお命じになる。
そして頂上ですべきことをお教えになる。
お手紙と不死の薬の壷を並べて、火をつけて燃やすようにとお命じになる。
それを承り、兵士を大勢つれて山へ登ったことから、その山を富士の山(士に富む山)と名づけたという。
その煙は今もまだ雲の中へと立ち上っていると言い伝えられている。

かぐや姫は最後、手紙を残していきますが、翁たちや帝は、悲しみに耐えることができず、翁たちは病気になってしまい、帝は手紙を燃やしてしまいます。最後に再会があってハッピーエンドになるというのが、物語の定番だと思っているのですが、竹取物語はハッピーエンドではないですね。
なんだかもの悲しい結末を迎えてしまいました。

また見に来てください。